追悼 モラーヌ先生

(レコード芸術 2010年712号掲載)

 パリでありながら長閑な雰囲気の「ラ・ビュット・オ・カイユ(うずらが丘)」という名の小高い丘にある、モラーヌ先生のレッスン室からは、先生が丹精をこめて手入れされていたお庭が一望出来た。様々な鳥が訪れ、季節ごとに花が咲くのをいつも楽しみにされていた。
 初めてお会いした時は、もう八十歳を過ぎておられたが、レッスンの前には必ず御自分の発声練習を欠かさず、二時間のレッスン中は腰を掛けられる事もなかった。これは私がレッスンのお手伝いをした13年間、どんな時でも変わることなく繰り返された。しかし、その厳しさには頑なところはなく、神や自然に対する敬虔な気持ちを、ただそのまま体現しておられるのだと感じさせるものであった。
 ルーアンの聖歌隊での音楽教育は、精神哲学がベースであったと伺ったが、先生は生涯その教えを貫かれたのだと思う。音楽や詩に向かう時、一切の世俗性は取り除かれ、崇高な精神性だけを純粋に追求される姿は圧巻であった。静養生活に入られてからは、「自分で歌わなくなったら、天使の歌が始終聞こえてくるので、時々うるさいくらいなんだよ」と笑っておられた。
 1月29日のルーアン大聖堂での御葬儀を終えて、夜遅くパリに帰ると、空には午後の雨模様が嘘のように、冴え冴えと美しい満月が輝いていた。「先生、もうお着きになりましたか」と思わず呟いた。