エレンの城で

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息を詰めて、そっと触れてみる。カサカサしている。蓋を開けてみる。やっぱり私の大好きな古いプレイエル、百歳くらいだろう。象牙の鍵盤は、すっかり黄ばんで所々にヒビが入っている。思わず、一音二音出してみたが、それは遠くから聞こえてくるみたいに響いた。深い穴の底から上がってくる、かすかな風の音のようだった。
「君が来るから、調律を頼みたかったんだけど」
ディディエが、すまなさそうな顔をして近づいて来た。
「何しろこの辺りじゃ、調律師は簡単に見つからないし。で、実は僕が見よう見まねで調律したんだけど、これ以上は無理だった」
私は、パラパラと半音階を弾いてみた。なるほど、万全とは言い難い。ほとんど鳴っていない音も、幾つかある。
「ダメだろう?もう四十年くらいは、誰も弾いていないからね」
「でも、このピアノはね、ショパンなんかとっても合うのよ。ちょっと弾いてもいいかしら」
「いいけど、せっかく来てくれたのに、こんな状態で悪かったね」
彼は自分のギターもいつも細心の注意を払って、大事にしているから、本当に困った顔をしていたが、私はどうしても弾きたくなった。
ショパンのワルツ、子供の頃最初に弾かせてもらった「ショパン」の曲。あの時、憧れのショパンを弾けるのが嬉しくて、ショパンを弾いたら、もうピアニストだと得意になっていた。そうやって練習した曲は、何年弾いていなくても絶対に忘れない。だけど忘れていた。ショパンが、私の王子様だったことは。ワルツを弾きながら、私の頭の中はくるくると旋回し続けた。ショパン、王子様、シャンデリア、お城、ワルツ、回る、踊り‥•ピアノの音もそれと一緒にサロン中に、流れ出した。
ワルツが終わると、三人が拍手をした。エレンもパトリックも、いつの間にか後ろで聴いていたのだ。
「もっと弾いて!そうそう、楽譜もあったはずよ」
言うが早いか、エレンはピアノの横の家具から、楽譜をそっくり取り出した。三十冊くらいはあっただろうか。それもみな、布張りの表紙で中の楽譜はセピア色に変色していた。